あじさい曼荼羅園
当園について
あじさい曼荼羅園
当園について
「曼荼羅(マンダラ)」とはサンスクリット語の音写で、原語の意味は、凝縮したもの、本質を備えたもの、完全にまとまったもの、と云う意味です。これから転じて仏さまや神様などが一定の法則と意味を持って集まったものを曼荼羅と呼びます。仏さまの悟りの境地をビジュアル化したものです。
救馬溪観音の執事さんが、
「あじさいの花は小さな花がたくさん集まり丸く丸くなろうとしている。まるで曼荼羅のようだ。また、花を神や仏にたとえることもある。あじさいだけにとどまらず、いろんな種類の植物をこの園内に植え、いつの季節でも訪れる人々の心を和ませることが出来るように」
という願いを込め、「あじさい曼荼羅園」と名付けてくださいました。昭和60年、あじさい好きが集まり、救馬溪観音の境内にあじさいの苗を植え始めました。その後、毎年あじさいの苗を植え続け、現在では約1万株・約120種類にもなりました。
平成11年、熊野地方を中心に開催された全国初のオープンエリア型博覧会「南紀熊野体験博」。この博覧会のイベントとして当会も「あじさい植栽体験」を実施。 このイベントは参加者にあじさいの苗を植えて戴くというものです。このイベントに向け、救馬溪観音境内の一部を借り、本格的なあじさい園の造成に着手しました。 これが現在の「あじさい曼荼羅園」のはじまりです。
何しろ、限られた予算なので毎年少しずつしか手を入れることが出来ませんが、それでも結構見応えのあるあじさい園になってきました。
これからも毎年手を入れ続ける予定です。
災厄を祓い、福徳を授けてくださる『徳得(とくえ)不動明王様』を平成15年10月15日に建立致しました。
当山第19世眞全和尚の妻・トクヱ(昭和54年寂 享年71歳)の名前は、お年を召された信者様の記憶に残っている方もおありかと思いますが、私の母でございます。 昭和17年の戦時中、眞全和尚と共に奈良県より当山に入山致しました。
その時、父は42歳、母は37歳でした。翌、昭和18年病弱だった二人に結婚して15年目に授かった子供が私だったそうで、それはそれはいたく感激した父母は報恩謝徳のため、無住で荒廃していたこの寺をなんとか復興したいと決意したと聞かされております。戦後の物のない、又、電気も水道もなく参拝者のほとんどいない当時の寺の維持管理は、窮乏と忍耐の連続で、病弱な2人は日夜必死の思いでお観音様におすがりしながら、父は69歳、母は71歳までこの世に生かせて戴きました。この両親の生き様が、一人となってしまった私のお手本であり、又、教訓として私を支えてくれたのです。
昭和40年頃、母はこの寺を桜の園にしようと桜の苗を千本植えました。添え木をし、肥料を施し、消毒をしたりして2・3年もすると人丈程の大きさに成長していました。ある時、その苗木が地上から20㎝位のところで刃物のような物で切り倒されているのに気付き、山全体を調べてみるとなんと900本近い苗が切り倒されているではありませんか。「一体誰がこんなひどい事を・・・」と母は茫然となり、ショックで寝込んでしまった程でした。山に詳しい方が「野ウサギと鹿の仕業でしょう。山に食べるものが無かったので美味しい桜の新芽を食べたのでしょう。」と教えてくださいましたが、もうどうする事も出来ませんでした。現在、境内のあちこちで咲いている桜は、その時の野ウサギと鹿の害をまぬがれた苗木が大きくなったものです。
その後、母は紅葉を植えたり、さつきを植えたりして境内の美化に黙々とつとめました。
あじさいに魅せられた私共は十年程前より「あじさい園」を境内に作ろうと計画して植栽を重ね、今では一万株を越えるようになりました。平成14年に「をぐりサミット」が当地で開催されたのを機に「あじさい曼荼羅園」を開園するに至りました。今年になりその遊歩道に六地蔵様とお不動様をお祀りしようという声があがり、それぞれにお施主様も決まり開眼させていただくことが出来ました。その折、お不動様を寄進してくだった方より「徳得不動明王(とくえふどうみょうおう)」とふりがなをつけて建立して欲しいとのご要望があり、私は「えぇっ!とくえとは私の母の名前では・・・」と驚き、一瞬声が詰まってしまいました。40年前、桜の園にしたかった母の無念の気持ちが、今、あじさいという花に種類は変われども、丸く丸くなろうとする優しい心のあじさいの園の中で、安らかに、また、しっかりとお山をまもってくだるのだと感激致しました。 そして父が果たし得なかった当山の復興も、近年、信者皆様方の絶大な御支援とお力添えによりまして立派に完成させて戴きました。また、母の念願であった境内の美化も順次進められております。
当山の霊験あらたかなお観音様の御威徳を信者皆様方と分かち合いながら、また、御支援戴きました皆様方の真心をしっかりと受け継ぎ、お観音様に報恩謝徳を努めてまいりたいと存じます。至らぬ私共でございますが、今後ともよろしく御支援の程、お願い申し上げます。
合掌
現住職の母 教照 記
徳得不動明王様を御寄進戴きました信者様には、この場を借りて厚く御礼申し上げます。
平成15年、園内に新たにあずまや1棟が完成し、
六地蔵巡り霊場、徳得不動が奉祀されました。
お地蔵様はよくご存じのように我が国において最も信仰されている大変親しみやすい仏様です。お地蔵様は地獄救済だけの仏様のように思われがちですが、お経の中では弥勒菩薩様が五十六億七千万年後にこの世に示現され、我々衆生をお救いくだるまでの間、この世の生きとし生ける全ての命あるものをお救いくだり、導いてくだるのが『お地蔵様』なのです。ですからお地蔵様は常に右手に錫杖を持ち、剃髪され、お衣をまとわれた修行僧の様なお姿であるのはそのためです。
また、お地蔵様はこの世と地獄だけではなく死後の六つの世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)もお守りくだる仏様としても信仰されるようになりました。六地蔵様は火葬場や墓地の入口に六体並んでお祀りされているのが有名ですが、京都や東京などでは町の入口や要地にあたる場所を六ヶ所選んでそこに札所風に一体ずつお地蔵様を祀り、それらを順番に参拝する「六地蔵巡り」と云う習慣があります。
当山のあじさい曼荼羅園内には六つの辻があり、この辻を人生の岐路にたとえ、あらゆる岐路に立った時、良き方向に導いてくださる事を願い、各辻にお地蔵様をお祀りし、東京や京都のようにこれらのお地蔵様を順番にお参りする『六地蔵巡り』と致しました。
皆様も御参拝の節は、是非、山上のあじさい曼荼羅園に足を運んで戴き、六地蔵様の御利益を戴かれる事を願ってやみません。
毎年あじさいが満開になる時期に、あじさい曼荼羅園にて厳修致しております。
本堂前舞台広場での熊野高校吹奏楽部の皆様による演奏会、抽選会などを行っております。満開のあじさいを見ながらの楽しいひと時を是非、当山でお過ごしください。